池上正さんと学ぶ「考える子どもを育てるヒント」講演会より
【「サッカーって何か知ってる?」】
大阪体育大学卒業後は東京のサッカークラブに指導者としての就職が決まっていました。でも、貯金して将来ドイツに留学することが目的だったので、研究室の先輩に「サッカーの指導なら大阪でもできるで」と言われ、実家の方が早くお金が貯まるかなと大阪に残ってYMCAで働き始めました。
大阪のYMCAで最初に出会った子どもたちは、正直そんなに上手くない子ばかり。なおかつ、グランドにやってくるとすぐ走り出すんです。前任者がそういう指示を出していたのだと思いますが、私が何も言わなくても、まずは来たら走るんです。
私は子どもたちに、「ごめん、ちょっと待って。サッカーって何か知ってる?」と質問しました。すると子どもたちは「週1回ここに来て、グランド走って体操して・・・」とそういう順番で答えるんです。私は「待って。違う違う」と言って、もう一度質問しました。「サッカーって何か知ってる?」と。「いや、だから、グラウンドに来て、走って・・・」とまた子どもたちが言うので、「これは大変だな」と思いました。
その日から、試合だけのスクールにしました。3ヶ月くらいすると子どもたちから「早く試合しよ!」と言うようになり、「ようやくこれでサッカーの練習ができるかな」と思ったことを今でも覚えています。もう何十年も前のことですが、その時代にすでに質問を取り入れていたんですね。
【殴ること、怒鳴ることをやめたきっかけ】
YMCAで教えていた子どもたちは350人ぐらいいました。本当に、自分1人で350人を見ていたんです。
YMCAにはいろいろなクラスがあるのですが、ある日、5年生の子どもがまじめに練習をしていませんでした。今思うと、「まじめにしていなかったように見えた」のです。当時の私はその子に「真面目にやらなあかん!」と言って、殴ってしまいました。30年ぐらい前のことですから、それは普通のことでした。
彼は「こんなクラブ辞めてやる!」と言って、走って帰ってしまいました。私はその子がサボっていたことを自分でも分かっていて、殴った理由も分かってくれていると思っていました。たまたまその日は虫の居所が悪かったのだ、くらいにしか思わず、来週になったらまた来るだろうと考えていました。
でも、本当に来なくなって辞めちゃったんです。ある大会で、違うユニフォームを着ているその子を見つけて、「えっ!」と思って愕然としました。
その時に私が考えたのは「愛情」についてです。指導する人間と指導される子どもたちの間にどんな愛情が成り立つのかな、と思ったんです。
ありがたいことにYMCAはキリスト教の団体なので、牧師さんに質問しました。これがお寺さんだったらどう答えたのかなあと思ったりもしますけど(笑)。
日本語は愛、英語はLOVEという一つの言葉しかありませんが、ラテン語やギリシャ語は3つに分かれていて、エロス・フィリア・アガペーがあるそうです。エロスという愛はまさしく音の通りです。好きとか嫌いとか、そういう感情の愛情です。フィリアは兄弟愛・血縁関係の愛情のことを言います。3つ目のアガペーは神様の愛、崇高なものを言っているみたいです。
そう考えていくと、血縁関係の愛情は切っても切り離せない。例えば、道を歩いていて自分の子どもが車に引かれそうになったとしたら、間違いなく親は飛び出しますよね。私も間違いなく娘を助けに行きます。でも、これがもし他人だったら、「うっ」と一瞬考えてしまって、待つかもしれない。「自分が死んだら困る」と。
ところが、私は他人の子どもを助けたことがあります。野外活動をしていたとき、5メートルほどの高さがある道を子どもたちが歩いていて、下の道を私たちが歩いていました。子どもたちはなぜか高さのある道が好きですよね。「いえーい」と言いながらふざけて歩いていて、「そんなんしてると落ちるよ」と声をかけていたのですが、本当に落ちたんです。
落ちる瞬間、今まさに落ちる!とわかったのでダッと走っていってその子を寸前で捕まえたのです。その子の周りにはボランティアの学生がいましたが、落ちた瞬間どうしていいかわからず固まっていました。学生たちを押しのけて走っていって、一瞬で助けたのを見て、「池上さん、すごいですよね」と言われましたが、引率しているいわば「他人」です。助けてもらったその子にしてみれば、引率の人に助けてもらうことは「当たり前」のことなんですよね。
ところが、これが血縁関係になるとちょっと変わるんですよね。子は助けてくれた親をいつまでも一生忘れずにいるわけです。そういう親だからこそ、安心して生きていける。安心して人間になっていくんです。たぶん、私に助けられたその子は、今はもう忘れているかもしれません。「あのとき助けてくれたの誰だったかな?」と。血縁関係との違いはそういうことなんです。
私の父親は大正生まれでめちゃめちゃ怖かったです。高校卒業するまで、呼ばれたら正座で話を聞くような関係でしたが、なぜか大好きなんです。何を言われても許せる。「くそ~」と思うときもあれば、「よし、頑張ったろう」と思うときもある。
兄弟は三人いて、みんな男です。私が一番下で兄弟喧嘩はしょっちゅうしましたが、父親に対する気持ちと同じです。喧嘩したときは心の中で「おまえら死んでしまえ~」と思うときがあっても、いつの間にか許せるんです。それが血縁関係なんですね。
血縁関係と、他人との関係の違いに気付いたとき、「他人を殴って、『嫌や』って思われたらもう終わりやな。取り返しがつかないな。」と思いました。だから、殴ることをやめたんです。
それから何年かして、今度は怒鳴ることもやめました。怒鳴ることをやめたのは、夫婦喧嘩をしてからです。
喧嘩をしているとき、私が「うるさい、黙れ~!!」と私の連れ合いに大声で言ったんですよ。そうすると、連れ合いが、
「あんたはどうしてそんな大きな声で私を脅かしてまで黙らそうとするの?黙ったらそれでいいと思ってるん?」
と喧嘩中に冷静な声で言われまして、はたと気がつきました。「臭いものには蓋をしろ」という言葉がありますが、蓋をするのはいいですけれど、ガスが充満して大爆発したらえらいことですよね。それで、怒鳴るのもやめることにしました。
【「子どもたちの力でできる」ということに気付いたきっかけ】
子どもたちと対峙するときも一緒ですよね。大人が怒鳴ったら子どもは怖いから動くけれど、それは問題解決にはなっていないということに気付いたのです。
結局、叱らなくなったし、怒鳴らない私になりました。練習はみんな笑っているし、楽しい。
(写真はイメージです)
そうしていたら、小さな大会なのですが教えているチームが優勝しました。YMCA主催の大会だったので私は本部での仕事があり、予選会場には行けませんでした。子どもたちのことは一緒に教えていた陸上部出身のボランティアの学生にお願いしたのですが、あれよあれよという間に予選を勝ち抜いて、準決勝まで来たんです。
準決勝からは本部の目の前のグラウンドで試合だったので、
「すごいね。よし、次は準決勝だ。みんな聞いて」
と話をしようとしたら、子ども全員が「もういい」と言うんです。
「もういいってどういうこと?」
「僕たち決めたんよ」
「決めたってどういうこと?」
「誰が出るか決めた」
「全員出てや?」
「そんなん当たり前やん!」
そんな風に言われて、子どもたち自身でやり出しました。
準決勝も勝って、次は決勝ですよ。決勝に行っても、子どもたちに言われました。
「もういいよ」って。
「あ、そう。じゃあお願いね」とだけ言って送り出したら、子どもたちは優勝してしまいました。
自慢話に聞こえるかもしれませんが、やはりこれが指導者として一番大きなポイントだったのだと思います。
「子どもたちは自分たちの力でできる」ということに気付いたのがこのときでした。
~つづく~