池上正さん講演会 「考える子どもを育てるヒント」より
【最終回】 教えて!池上さん ~講演会後の質疑応答~
<子どもたちのために、日々学び、自分を変えていくこと>
講演後、参加者からの質問に答えてくださった池上さん。サッカーの指導だけでなく、子どもたちと接するときに参考になるお話やヒントをたくさんいただきました。
年齢によって基本的に対応は変えない
Q1.小学生や中学生、さらには大学生など、子どもの年齢によって対応は違ってくるのでしょうか?
A1.この小学生があるから、この大学生があります(同一人物である、ということ)。 そう考えると、わたしがすることはあまり変わらないですね。大学生は大人なので、「こうやって小学生がやっているよ」と伝えることはあります。反対に、小学生たちには「できなくていいよ。だって、大学生だってできないから」という言い方をしますね。
初めて接するときは「待つ」「見る」
Q2.私はキッズや障がい者サッカーに携わっています。池上さんは40万人以上の子どもたちと接してきたそうですが、初めて接するときの心がけや心構えなどありましたら教えてください。
A2.YMCAには、3歳児教室がありました。周りの先生たちには「不思議ですよね。池上さんのところに行ったら子どもは泣かないですよね」と言われていました。
なんでかな?と思って考えると、私は彼らの心の中には(自分から)入らないです。まず、待つ。そして、どうしているのかな、何をするのかな、とよく見ます。
目が合ったときに恥ずかしそうにしていても、それで私の存在を確認するのでしょうね。もう一回見てきたら、興味が出たのかなと思ってちょっと試します。例えば、遠くからボールをコロコロコロッと転がして、そのボールが返ってきたらもうOKですね。
僕は、そういうことをどこに行っても最初にします。日本の人たちは「大きな声で挨拶を」という考え方が好きですが、子どもにとってそれはどうでしょうか・・・(苦笑)。挨拶したくない人には大きな声も出せないですし、嫌いな人には挨拶したくないだろうし。まずは「待つ」「見る」ということをするようにしています。
間違った指導法は変える。自信があるなら説明する。
Q3.私が指導している現場では、コーチの他に親コーチがいて、コーチ集団が大きいのです。40人とか50人とか、かなりの数です。その中で実践しようという気持ちはありますが、他のコーチとのギャップがあります。「私はこうしたい。」「そんなの、なんで?」と批判的な意見を受けたときは、どこまで自分の意思を貫けばいいのでしょうか?
A3.すごく難しいことですが、自分が間違っていないとしたら、ちゃんとその理由を述べて、話し合うべきだと思っています。でも、もし自分が間違っていたのであれば、変わればいいんですよね。
YMCAのころ、幼稚園の子どもたちにヘディングの練習をさせていました。すると先輩が来て、「ちょっと試合しなさい」と言われました。「どうしたんですか」と訊いても、「いいから試合させろ」と。それで15分の試合をしました。
終わってから先輩に、「今の試合で、子どもたちのヘディングは何回あった?」と訊かれて、「0です」と言いました。「どうしてヘディングの練習をしているの?ヨーロッパで幼稚園の年齢の子どもたちがヘディングしているところなんてないよ。」と言いました。「確かにそうだな」と私は思ったんです。「試合でヘディングする機会がないのに、なんで練習してたんだろう。」と。
次の日、私と一緒に仕事をしてくれていたボランティアの学生50人以上を全員集めて、「今日からヘディングやめます」と言いました。学生たちは大ブーイングですよ。「え?どうしてですか?今までやっていたじゃないですか。」と。
「間違っていた。申し訳ない。それが分かったから、変えよう。」と言いました。指導者はそうじゃないとダメですよね。
今、色々なことが日進月歩で分かってきていますが、脳科学の分野でもそうです。「叱ると脳が小さくなる」ということが分かってきているのに、叱っていたらダメなんです。だから、やめるんです。
(自分がしようとしている方法が)合っているとしたら、「ちょっと待って。それは、まだダメと分かっていないよ。こっちのほうがいいんじゃないの?」という話は、絶対しないといけない。私はそう思っています。
いじめやトラブルは当事者だけでなく「みんなの問題」
Q4.学校訪問やサッカー指導をしている中で、いじめや仲間を馬鹿にするような言動があったり、子どもがふざけて指導の邪魔をするような行動をしたりということもあると思います。そのようなときは、どのような対応をなさっているのでしょうか。言葉のかけ方や、工夫していることがあれば教えてください。
A4.私の基本は「みんなの問題にする」という考え方です。いじめた子といじめられた子をなんとかしよう、というのではなく、みんなの問題として考えます。
私がジェフ(千葉)にいたころ、ジェフの主催で、下部組織に所属する選手向けのフェスティバルがありました。4~5つほどのJリーグチームが集まって、全部のチームが混ざって一つの部屋に泊まろうという企画でした。チームの垣根を越えて、「みんな仲間だよ」と。そうしたら、違うチームの選手間でいわゆる「カツアゲ」が起こりました。
フェスティバルが終わって、家に帰ってから何があったかを親が知ったらしいのです。そのチームのコーチと私は仲が良かったのですぐ連絡を受けました。「親も『騒ぐつもりはない』と言っています。でも、事実だけは、知っておいてください。」と言われました。あと二日フェスティバルが長かったら、その場で解決できたのにと残念に思います。
もしその場で分かっていたら、子どもたち全員を集めて、「今日はサッカーしないよ」と言ったと思います。
「どうしてかというと、こんなこと(カツアゲ)が起きた。みんなはサッカーをする仲間だよ。どうして仲間からそんなことをするの?犯人を捜すつもりはないよ。みんなもそんな立場になるかもしれないよ。どうする?どうしよう?これからサッカーできないよ。仲間じゃないもん。」という話をして、子どもたちに問いかけると思います。
もう一つご紹介します。私のスクール生の中にインドの子がいました。その子は日本人と肌の色が違う。5年生と3年生の兄弟でした。5年生のお兄ちゃんはサッカーがうまかったから、何を言われても平気なんです。でも、3年生の弟は、すぐ泣いてしまう。お母さんがわたしのところに来て、「やっぱり言われるみたいです」と相談してきたこともあります。
子どもたち全員を集めて、「どうしてそういうこと言うの?何が違うの?みんな同じ、サッカーをする仲間なんだよ」という話をしました。
子どもたちだけでなく、親も集めて、「お母さん、家で犯人探しをするんじゃないんです。『うちの子はしてない』とか、『お前はしたらだめよ』ということじゃない。みんな、どっちかに回る可能性があるから、『みんなでやめよう』という話をしてください。」と伝えたこともあります。
答えは言わずにじっと待つ。子どもたちは自ら見つけるようになる。
Q5. 小学校のバスケットボールのコーチをしています。ゲーム感覚でできる練習をしているのですが、2メンの練習(2人組でのパスやシュートのドリル)をしているときに、子どもたちが一つひとつ細かく聞いてきます。「こういうときはどうですか?」「こういう場合はどうすればいいですか?」と。子どもたちが自分たちで考えて、自分たちで動けるようにするためにはどのような対応をすればいいのでしょうか?
A5.基本、答えないと思います。
「ルール言ったよ。」
「えー、どうするの?」
それでも、黙って見ていていいんですよ。「なんでできないのかな?」という疑問が出てくるまで待てば、子どもたちは絶対やり始めます。説明しなくてもいいと思います。
これは親子の関係とよく似ています。「お母さん、どうしてだめなの?」という質問にすぐ答えてしまうと、子どもは「そしたら、これは?」とまた聞くんです。ずっと続けて答えていくと、最後にはつじつまが合わなくなってきて、親が言うことは決まってしまいます。結局、「ダメなものはダメ」と。最初からそう言っておけばいいんです(笑)。それと同じで、答えなければ、答えを探し出そうとするはずです。
学年別では育たない。違う学年と一緒にプレーしてこそ成長する。
Q6.「子どもは自分より強い子とやりたがらない」というお話を聞いて、自分の息子もそうかもしれないなと思いました。この場合、どのように声をかけたらいいのでしょうか?声かけの他にも、放っておくのか、何か違うアプローチをするのか、何か方法があれば教えていただきたいです。
A6.今の子どもたちは難しいですよね。基本的に、同じ学年、同じレベルなどで全部分けられてしまいます。「自分よりも強い子とやる」という仕組みではないわけですから。
京都サンガに作ったスクールは、小学校2年生から6年生まで、男の子も女の子も、うまい子もそうじゃない子も、全員一緒にやるというスクールです。
全員同じ練習をします。本当に、同じ練習です。
できない2年生。簡単すぎる6年生。そういう練習も当然あります。でも、全然できない6年生。うまくできる2年生という場合も出てくる。すると、お互いにそれぞれが助け合ったりするんです。
そのクラスは2時間のコマを取っています。2時間のうち90分はサッカーをしますが、残りの時間は人間関係訓練です。レクリエーションゲームをたくさんします。月に一回は宿泊学習。テント泊で自炊です。もう、みんな兄弟みたいになっていきます。
始めのころは6年生に(試合中ぶつかって)飛ばされて泣く子がいても、2ヶ月もすれば泣く子はいなくなります。私も子どもと一緒になって試合をします。グラウンドのネット際に親がいるコートで試合をしていて、私が子どもにスライディングタックルをバカーン!とすると、それを見ていた親たちが「ギャー」と叫ぶんですね(苦笑)。
でも、「それがサッカーなんだ」と分かってくれば、だんだん安心して見ているんです。だから2年生は強くなってきた。6年生は強いし、やさしい。それが、本来の人間の育ち方のはずだと思います。どうも今は、「レベルに分けないとうまくならない」と思われすぎです。絶対そうじゃない。
「エリートプログラム」というのがありましたよね。オシムさんは、「エリートを集めると、誰がエリートか分からないよ」「エリートを教えているコーチは、エリートか?」と言っていました。異年齢やレベルの違う選手同士でもっともっとやっていかないといけないですね。だからこそ「学校」がいいはずなんです。
クラスの中には得意な子・不得意な子が絶対いるし、そういう子どもたちがみんな一緒に学ぶという方が絶対いいはずなんです。でも、先生たちは、先生たちが教えやすいようにグループ分けをしてしまう。それが、「お前らはダメ」というレッテルになってしまうのだと思います。
怒鳴っても逆効果。いたずらは無視するとしなくなる。
Q7.「怒鳴る」という言葉に関してですが、私は「さじ加減」があると思っています。言葉の強さ、愛情、怒り。怒りの部分で「怒鳴る」というのは良くないと思いますが、怒鳴る前の現象によって様々な意味があるのではと思います。池上さんは「怒鳴る」という言葉に対してどのようにお考えでしょうか?
A7.「怒鳴る」と「どぅなる?」ということだと思います。すみません、関西人なので(一同、笑い)。
これは、学習理論がある。「ほめる」とその行為が強化される。しかし、0.5秒以内にほめないといけない。それは(データとして)分かってきています。ところが、いけないことをしているときも、それに反応すると行為が強化されていくんです。だから子どもたちは、親の気を引くためにいたずらをする。見てくれると「へへへっ」となるんですね。
いけないことをしているとしたら、学習理論から言うと「無視」をする。無視するとやらなくなります。幼稚園に指導に行くと、仲良しになろうとしてブワッと捕まりにくる。ズボンを脱がそうとする子もいるのですが、その子に「やめて」と言うとずっとやります。その子をぶら下げたまま、ずっと遠くを見て「じゃあ、みんないいかな?」というと、みんないなくなりますよ。怒鳴ることなく、話を始められます。
スポーツに失敗はない。1人ひとりの「できること」を見つける。
Q8.サッカーを指導しています。ゲーム中、確実に動けていない、気づけていないなどのミスに対して「大丈夫、大丈夫!」と声をかけていますが、何度かやっているうちにどんどん声が高めになってしまいます。自分としては子どもたちが気づくためにと思っていましたが、「これ、怒鳴ってるのかな?」と考えるときもあります。できたときにも「ほら、できたじゃん!」と強い口調になっていて、愛情から出てくるものですが、選手にしてみれば「また声荒げてる」と捉えられている気がします。口調について、何かヒントになることがあれば教えてください。
A8.「よし、いいよ」というのは、ほめていますよね?「怒鳴る」という言葉は、ほめる言葉ではないです。良くないことをしているから言っているわけです。だんだん口調が強くなっているのは、「1回目言ったけどできないから、2回目同じようなミスが出てくると、また言ってしまって…」と徐々に声が大きくなる親の怒り方とよく似ています。
(普通の声で)「何しているの?」
(厳しい口調で)「またやっているよ。」
(ほぼ叫びながら)「何回いったらわかるの?」
ということと同じです。
スポーツに、「ミス」はないんです。「失敗」はないんです。僕は「スポーツから『失敗』という言葉をなくしましょう」という話もしています。
例えば、サッカーのリフティング。基本的に、リフティングの数を数えているのは日本だけです。他の国は数えません。ボールが地面にことを「失敗」と言うのも日本だけです。「失敗」じゃない。「ボールが地面に落ちただけ」です。だから「失敗」とは言わない。私はもし落ちても「いいよ、いいよ。やろ、やろ。」と続けさせます。リフティングができたら褒めてあげればいいのです。
日本サッカー協会でも、ミスを指摘するのではなく、できたことを言ってあげるという指導方針に変わってきています。できた子を褒めると、聞いていた周りの子も「そうしたらいいのかな」と分かっていくだろうというのがサッカー協会の考え方です。
でも、そうじゃない場合もありうると私は思っています。子どもは「なんであいつだけ褒められるんだ」と思うかもしれない。「君のやっていることはすごいんだよ」と全員に言わないといけないんです。プレーにミスや間違いなんてないのだから、「あの子はこれができるんだね。でも、君はこれができるじゃない。」と1人ひとりの良さを認める、見つけることが大切だと私は思っています。
相手の心を開きたいなら、まず自分の心を開く。
Q9.一度でも怖さ・恐怖・失敗を体験した子へのケア、声かけはどうすればよいのでしょうか?取り除くための方法はあるのですか?
A9.とても難しいですね。私は千葉の養護施設で理事をしていたときがあります。子どもたちがジェフへ実習に来たのですが、大人を信用していない目をしているんです。話を聞こうとしない。大変だと感じました。その施設には何度も訪れたこともありますが、本当に時間がかかります。私がどのような人間なのかを分かってもらわないといけないし、心を開いてもらわないといけない。でも、相手の心を開いてもらおうと思うと、まず、自分の心を開かないとダメですよね。
私は初めて会った人にも、自分の家族の話をいつもするんです。よく「池上さん、どうしてそんな話までするんですか?」と言われますが、そういった話をすると、多くの人が相談を持ちかけてくるんです。話をしたくなってくるんでしょうね。
昔、まだ「自閉症」という言葉がなかった時代ですが、私のクラスに自閉症の子がいて、グラウンドの横を電車が通ると「電車。電車。」と言い続けるんです。私は隣に座って同じように「電車。電車。」と言ってあげていました。
すると、「ぼく、池上コーチのところに泊まりに行く!」というんです。今まで一度もそんなことを言ったことがないような子で、親御さんもビックリしていました。その子の姿をありのまま受け入れていく。受け入れてあげたい。そういう気持ちがないと、心を開くということはなかなか難しいです。
でも、親子はいつでもやり直すことができます。戻れます、絶対に。お互い話をして、「お父さん、変わるから、許して」「やり直そう」と言えば、またそこからやり直すことができます。
私は娘に、「お父さんとお母さんは、私のこと信頼してないんでしょ?」と言われたことがあります。17歳のときだったでしょうか。今なら、娘も自分の子どもを持つようになって、「あの時はね・・・」と話をすることができます。どの親子もそうだと思います。「あのときは・・・」という風に思い出しながら話せるときが必ず来ます。親子ですから。どのくらい本当に心を開いて、コミュニケーションを取ることができるかがとても大事なことだと思います。
スポーツの基本は「遊び」。ルールの中での「自由」があってもいい。
Q10.サッカーの指導者をしています。私は幼少期とてもひねくれていて、みんなと何かをするときも「やだ」と言っていました。コーチたちの手の平で操作されている感覚が嫌だったのだと思います。今指導しているチームでも、一人二人同じような子がいます。指導する立場になるとサッカーをする上でチームだから味方と合わせることは大切だと思えます。指導する上で、幼い頃の自分のような選手や子どもに対して、池上さんならどういった接し方をされますか?
A10.基本的に私は、スポーツは「遊び」だと思っています。サッカーという遊びにしにきていると。サッカーじゃない遊びをしてる子がいると、「それはサッカーじゃないよね。公園に行ったほうがいいよ。」という話はします。
でも、中には「ここにいたい」という子がいます。私が教えていた幼稚園生は、来たらグラウンドでいつも寝ていました。一年間ずっとです。私も一緒に寝そべっていたことがあります。「気持ちいいよな。人工芝で。」などと話をしながら。
でも、一年生になったその子は、サッカーをしだしたんです。幼稚園時代、お母さんとは「サッカーにはまだ興味がないんでしょうね。いいんじゃないですか。でも、ここには来たいんでしょ?ここで寝てたらいいですよ。」という話をしていました。そうしたら一年後、なんとサッカーをし始めて、私がびっくりしました。
「どうしたん?」
「え?どうしたんって何が?」
その子は自分でも忘れているんでしょうね。そういう自由があってもいいんじゃないでしょうか。
話が少し逸れますが、本来、プロフェッショナルのコーチとしてやるべきことは、「サッカー選手になりたい、させたい」という親や保護者がいたならば、「それは無理でしょう。辞めたほうがいいですよ。違うスポーツや違うことも経験してみてください。もう一度帰ってくるならいいですが。」ということが言える人間になることだと思うのです。そういう目を持っていることこそ、プロだと思っています。
教え子のある選手に、そういう意味で「やめとけよ」と言っていた子がいたのですが、自分から「レベルが高いチームに行きたい」と言ってその道を進もうとしました。その子は結局レギュラーにもなれず、悲しい思いをしてしまいました。
「だから一年目からレギュラーになるチームに行ったほうがいいと言ったのに。」と思いましたが、プロになるというのは本当に難しいです。だからこそ、厳しい目も必要です。
アマチュアであれば、そういった思いをせずに、「いつまでもみんなで楽しくプレーしよう」と言い続けてくれればと思います。
自分から関わろうとすることが大事。同じチームだからこそ「コミュニケーション」を。
Q11.サッカーでも会社でも「コミュニケーションが大事」ということが言われています。でも、「コミュニケーション」という言葉の解釈はみんな違うのではないかと思います。池上さんは、いつごろから使っておられますか?個人的には日本語の方が馴染みやすいと感じていますが、外国人コーチたちはよく「コミュニケーション」という言葉を使いますか?
A11.いいえ、外国ではコミュニケーションは生活そのものなので、「コミュニケーション」という言葉は使わないですね。当たり前のようにやっているので、そこに日本と大きな差があると思います。しゃべらない人がいたら、相手にされない。「どうしたんだ、あいつ」と思われるだけです。
例えば、プロの監督になると、選手全員の誕生日も知っているし、その奥さんの誕生日も知っています。奥さんの誕生日に花を贈ることもあります。自分の誕生日になると、全員を呼んでケーキやワインを振舞うことも。「俺の誕生日だから」と。
でも、日本では反対ですよね。つまり、周りの人がしてくれなかったら、待つということですよ。でも、向こうは自分で呼んでいる。文化の差も大きいです。ただ、日本には、「隣近所」という文化があります。物を借りたり、たくさん物をもらったからおすそ分けをしたり。でも、今はその文化もなくなってきていますよね。
私が千葉で一人暮らしをしているとき、マンションの理事長になったので、バーベキューパーティを開きました。自分でチラシを作って、全戸に入れて。約60戸のうち、25ほどのご家庭に参加してもらいました。すると、今まで会釈しかしなかった人も、マンションですれ違ったら「あっ、おはようございます!」と話ができるようになりました。それが「隣近所」というものですよね。
これまで当たり前のようにできていたことが、今はなんだか隣の人にも声をかけられない時代ですよね。サッカーやスポーツでいうと、同じチームなのにしゃべったことがないという子もいる。親同士も特にそうです。そして、学年別で練習していると、違う学年の子や親を知らないということがあります。子どもたちは同じユニフォームを着ているのに、親は知らない。私が「コミュニケーション」を特に大事にしているのは、そのような背景があるからなのです。
~終わりに~
今日の自分と明日の自分は違う。日々学び続ける人こそが指導者だ。
メールやLINEで済まされてしまう今の時代。
実際に会って話をすることはとても大切です。
こうして顔を見ながら直接話を聞いて、
自分が学んだことは、どんどん外に発信していただいて、
多くの人に伝えてほしいと思います。
たとえ何を言われても、
今日の自分と、明日の自分はもうすでに変わっています。
「そういえば今日こんなこと言われたな」と考え、調べながら、違う自分になろうとする。
それが指導者です。
どうぞ皆さんも、いつまでも勉強し続けて、
子どもたちのために、いい仕事をしていただけたらと思います。
本日はありがとうございました。
池上 正
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